リーチ動作・巧緻動作で肩が上がる原因とは?肩甲骨・肩甲上腕リズム・共同運動から読み解く評価とリハビリ【OT監修】

🏥 作業療法士(OT)監修

リーチ動作や巧緻動作訓練の場面で、「手を伸ばそうとすると肩がすくむ」「指先の課題になると肩が挙上する」という現象(肩甲帯挙上・上肢挙上の代償)は、脳卒中の上肢リハビリテーションに携わる作業療法士・理学療法士であれば一度は目にしたことがあるはずです。

訪問型の自費リハビリとして数多くの脳卒中後遺症の方への上肢アプローチに携わってきた経験から、この記事では「なぜリーチ動作・巧緻動作訓練(Reach-to-grasp)で肩が上がるのか」を運動学・解剖学・神経生理学の3方向から掘り下げ、単なる「肩を下げましょう」という指導では解決しない、脳卒中特有の肩すくみ・代償動作のメカニズムと、前鋸筋リハビリを含めた肩甲骨リハビリの評価・介入方法を整理します。

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監修:作業療法士(Home Reha 福岡 代表) 作業療法士国家資格保有。福岡市にて訪問型の自費リハビリサービス「Home Reha 福岡」を運営。脳卒中後の上肢機能訓練・自主練習指導に多数携わる。

📋 目次

  1. ①リーチ動作とは何か
  2. ②巧緻動作とは何か
  3. ③肩が上がる原因
  4. ④なぜ肩をすくめる代償が起こるのか
  5. ⑤肩甲骨運動
  6. ⑥関与筋
  7. ⑦EMG研究
  8. ⑧エビデンス
  9. ⑨評価方法
  10. ⑩リハビリ
  11. ⑪重症度別のアプローチ
  12. ⑫臨床でよくある失敗
  13. ⑬まとめ
  14. よくある質問

①リーチ動作とは何か

リーチ動作(reach-to-grasp movement)とは、対象物に向かって上肢を伸ばし、到達し、把持するまでの一連の運動を指します。Jeannerod(1984)は、リーチ動作を「輸送要素(transport component)」と「把持要素(grip component)」という2つの並行して制御される運動要素として記述し、この考え方は現在の脳卒中リハビリテーションにおける上肢評価・介入の理論的基盤になっています。

リーチ動作の流れを示す図

正常なリーチ動作の運動学的流れ

正常なリーチ動作は、大きく4つの相に分けて理解すると臨床応用しやすくなります。

内容主な関節運動
到達相(reach phase)体幹・肩甲帯を基盤として上肢を対象物へ輸送する肩関節屈曲・外転、肘関節伸展、肩甲骨上方回旋
把持相(grasp phase)対象物の形状・大きさに応じて手指を事前形成し把持する手指伸展〜対立、pre-shaping
操作相(manipulation phase)把持した対象物を目的に応じて操作する手内在筋・前腕回内外・手関節の微調整
戻し相(return phase)対象物を置く、または上肢を初期姿勢に戻す肩関節伸展方向への制御された下制運動
🔵 OTポイント

この一連の動作を支える基盤が「近位安定性(proximal stability)」です。肩甲帯・体幹が土台として安定していなければ、遠位の巧緻動作は成立しません。近位から遠位へと運動の制御が展開される「近位-遠位の運動制御階層」は、脳卒中の代償動作を理解するうえで欠かせない視点です。

肩甲上腕リズム(scapulohumeral rhythm)

肩関節屈曲・外転の際、肩甲上腕関節(glenohumeral joint)と肩甲胸郭関節(scapulothoracic joint)は一定の比率で協調して動きます。古典的にInman(1944)が報告した肩甲上腕リズムは、上腕挙上180°のうち、おおよそ肩甲上腕関節2:肩甲胸郭関節1の比率で運動が分配されるという概念です。この協調運動が破綻すると、肩甲骨の代償的な挙上・過剰な上方回旋が生じ、これが「肩がすくむ」という臨床像の運動学的基盤の一つになります。健常者でもこの比率には個人差があることが後の研究(McQuade & Smidt, 1998など)で指摘されていますが、「肩甲上腕関節の可動性が制限されるほど、肩甲胸郭関節(=肩甲骨挙上)への依存が増す」という基本原則は脳卒中患者の代償動作を理解するうえで臨床的に有用です。

②巧緻動作とは何か

巧緻動作(dexterity)とは、対象物の形状・大きさ・重さ・目的に応じて手指を精密に制御する能力を指します。リーチ動作の到達相の終盤から、把持の準備が始まっている点が重要です。

Precision GripとPower Grip

Napier(1956)による把持動作の古典的分類では、母指と示指・中指の指腹を用いて微細な操作を行う「Precision Grip(精密把持)」と、手掌全体と指を使って対象物を握り込む「Power Grip(握力把持)」に大別されます。巧緻動作訓練の多くはPrecision Gripを主な対象としますが、脳卒中患者ではPower Gripの獲得すら困難な場合があり、その場合は無理にPrecision Gripを狙う前段階の介入が必要になります。

Pre-shapingとHand Shaping

健常者は対象物に手が到達する前から、視覚情報をもとに手指の形状を対象物に合わせて調整し始めます。これをPre-shaping(事前形成)と呼びます。Jeannerod(1984)の報告以降、Reach-to-graspの研究では、手の開大(hand aperture)が到達距離のおよそ70〜80%に達した時点で最大化し、その後対象物のサイズに合わせて閉じていく過程(Hand Shaping)が示されています。脳卒中患者ではこのPre-shapingのタイミングが遅延し、結果として到達後に手指の調整に時間を要する、あるいは到達動作自体を過剰努力で補おうとして肩がすくむ、という連鎖が生じやすくなります。

🟨 臨床での注意

巧緻動作の土台には「正確な到達(リーチ)」と「近位の安定性」が不可欠です。①で述べたリーチ動作の質が低いまま巧緻動作訓練(ペグボード、つまみ動作など)だけを反復しても、代償動作が強化されるだけで機能的な改善につながりにくい点に注意してください。

③肩が上がる原因

肩甲帯挙上(リーチ時に肩が挙上する現象)という一つの結果の背後には、非常に多くの要因が関与しています。ここでは主要な原因を整理し、それぞれの関連性まで踏み込んで解説します。

🔵 結論

肩が上がる最も大きな原因は、「近位安定性の低下によって肩甲骨を適切にコントロールできなくなること」です。前鋸筋・下部僧帽筋が十分に働かないため、上部僧帽筋が代償し、肩をすくめる動作が出現します。以下では、この結論に至る要因を一つずつ詳しく見ていきます。

肩が上がる原因の概念図
🔵 OTポイント:肩が上がることは「悪い癖」ではない

肩が上がること自体が悪いわけではありません。身体は「手を目的物まで届ける」という課題を達成するために、その時点で利用可能な筋・関節・神経を総動員します。つまり肩甲帯挙上は、障害された身体が選択した代償戦略であり、「悪い癖」ではなく合理的な運動戦略とも考えられます。重要なのは、なぜその代償が必要になったのかを評価することです。

臨床で最も見落とされやすいのが、「近位安定性の不足」がすべての土台になっているという点です。多くの原因リストは筋・神経・体幹をそれぞれ独立して並べがちですが、実際には以下のような連鎖として捉えると理解しやすくなります。

  1. 近位安定性不足—体幹・肩甲帯を支える土台が不安定になる
  2. 肩甲骨が固定できない—胸郭上で肩甲骨を安定させられず、動きの起点がぶれる
  3. 前鋸筋・下部僧帽筋が働かない—肩甲骨の上方回旋・後傾を作るフォースカップルが機能しない
  4. 肩関節屈曲筋(三角筋等)が働けない—肩甲上腕関節での挙上トルクが不足する
  5. 上部僧帽筋・肩甲挙筋が代償する—結果として肩甲帯挙上(肩をすくめる動作)が表面化する

この連鎖を踏まえたうえで、各段階に関わる要因を近位(体幹)から遠位(神経制御・構造)の順に見ていきます。

近位・体幹に起因する要因

  • 体幹機能低下・姿勢制御障害・近位安定性不足:Cirstea & Levin(2000, Brain)の代表的研究では、脳卒中患者はリーチ課題において健常者に比べ有意に大きな体幹前傾を用いることが示され、これは肘関節伸展の機能的可動域不足を代償するための戦略と解釈されています。体幹での代償が難しい方向(側方リーチなど)では、体幹の代わりに肩甲帯挙上が代償手段として選択されやすくなります。
  • 重力負荷:Reinkensmeyerら(1999)が指摘するように、挙上を伴うリーチ課題は重力負荷が大きく、筋出力の余力が少ない麻痺側では特に代償を誘発しやすい条件です。
  • 筋持久力低下:訓練が反復されるにつれ、主動作筋群が疲労し出力を維持できなくなると、途中から代償筋(上部僧帽筋・肩甲挙筋)の動員が増加する現象が臨床的にしばしば観察されます。

肩甲骨運動に起因する要因

  • 肩甲骨の上方回旋不足・後傾不足:肩甲上腕リズムが破綻し、肩甲骨の上方回旋・後傾が十分に得られないと、glenoidの向きが上腕骨頭の挙上軌道と一致せず、代償的挙上や痛みを伴うインピンジメントが生じやすくなります。
  • 肩甲胸郭関節機能障害・肩甲上腕リズム破綻:Aertsら(2016, Gait & Posture)は、脳卒中患者の肩甲骨3次元運動と筋活動タイミングを同時計測した研究で、脳卒中患者群では低挙上域で下部僧帽筋の活動開始が早期化し、前鋸筋の活動開始が遅延・終了が早期化する異常な筋動員パターンを報告しています。これは、前鋸筋の機能不全を下部僧帽筋が代償しようとする神経筋レベルでの適応と解釈されています。

筋機能に起因する要因

  • 前鋸筋機能低下・下部僧帽筋機能低下:前鋸筋と下部僧帽筋は、肩甲骨の上方回旋・後傾を担うフォースカップル(force couple)を上部僧帽筋とともに形成します(Physiopedia, Force Couple Between Trapezius and Serratus Anterior)。この2筋の機能低下は、上方回旋のトルクを上部僧帽筋・肩甲挙筋に依存させ、結果的に肩甲骨挙上優位のパターンを助長します。
  • 肩関節屈曲筋力低下・三角筋機能低下:三角筋(特に前部線維)や棘上筋の筋力低下により、重力に抗して上肢を挙上するトルクが不足すると、患者は代償的に肩甲骨を挙上させて上腕の挙上域を補おうとします。McCreaら(2005, J Neurophysiol)は、慢性期脳卒中患者の前方リーチ課題において、麻痺側の前部三角筋活動が最大随意収縮に近いレベルまで飽和(saturate)し、それ以上の出力が必要な場面で体幹・肩甲帯を用いた代償戦略が引き出されることを報告しています。
  • 腱板機能低下:棘上筋・棘下筋・肩甲下筋を含む腱板筋群は、肩甲上腕関節における上腕骨頭の求心位保持(centering)に不可欠です。腱板機能が低下すると、三角筋優位の挙上となり、インピンジメントや代償的な肩甲帯挙上を招きやすくなります。
  • 上部僧帽筋過活動・肩甲挙筋過活動:前鋸筋・下部僧帽筋の機能低下を代償する形で、上部僧帽筋と肩甲挙筋が過活動を起こします。これが臨床的に観察される「肩がすくむ」動作の直接的な筋活動パターン、すなわち一連の連鎖の最終段階です。

神経生理学的要因(脳卒中特有)

  • 共同運動(synergy)・異常筋シナジー:Twitchell(1951)、Brunnstrom(1970)が記述した屈曲共同運動は、肩関節外転と肘関節屈曲・前腕回外・手指屈曲が不随意に結合するパターンです。Dewaldら(1995, Brain)は等尺性条件下で、肩関節外転トルクを発生させようとすると肘関節屈曲筋群のトルクが不随意に共活動することを定量的に示し、この「異常な関節間トルクカップリング」が独立した関節制御(individuated joint control)の喪失であることを明らかにしました。
  • 痙縮:上部僧帽筋・肩甲挙筋の痙縮は、随意的な肩甲骨下制・後退を阻害し、静的にも肩甲帯挙上位を作り出します。Ellisら(2017, Clin Neurophysiol)は、痙縮由来の筋活動と共同運動由来の筋活動を分離する実験パラダイムを用い、慢性期の中等度〜重度片麻痺患者ではリーチ動作中の肘屈筋活動の大部分が痙縮ではなく共同運動由来であることを報告しており、両者を臨床的に区別する視点の重要性を示しています。
  • 脳卒中特有の運動制御障害(皮質網様体脊髄路への依存):皮質脊髄路の損傷後、随意運動の制御は間接的な皮質網様体脊髄路(cortico-reticulospinal tract)への依存度が高まるとされ、この経路は肩外転と肘・手指屈曲を結合させる形で投射するため、共同運動パターンが強化されるという神経生理学的仮説が提唱されています(McPherson & Dewald, 2019など)。

感覚・心理的要因

  • 感覚障害・位置覚障害:固有受容感覚の障害があると、肩甲帯の位置をフィードバックで修正することが難しくなり、視覚代償や過剰努力によって挙上位が固定化しやすくなります。
  • 過度な努力・Overflow:健常者でも最大努力に近い運動では、目的筋以外の筋群への「あふれ出し(overflow)」が生じますが、脳卒中患者ではこの閾値が低く、通常の動作でも容易にoverflowが生じるとされます。
  • 痛み・恐怖回避:肩関節の痛みがある患者は、痛みを誘発する肩甲上腕関節の可動を避け、肩甲帯挙上や体幹代償で目的を達成しようとする回避行動(fear-avoidance)を取ることがあります。

構造的要因

  • 肩関節亜脱臼:急性期の弛緩性麻痺では、棘上筋・後部三角筋の筋緊張低下により上腕骨頭が下方に偏位しやすく、肩関節亜脱臼の発生率は報告により17〜81%と幅がありますが、多くの研究で高い頻度が示されています(Physiopedia, Hemiplegic Shoulder Subluxation)。亜脱臼のある肩では、関節の求心位が崩れているため、わずかな挙上運動でも代償的な肩甲帯挙上が誘発されやすくなります。
  • 肩関節拘縮:長期の不動や痙縮の結果として生じる肩関節周囲の軟部組織拘縮は、肩関節屈曲・外転の関節可動域を直接的に制限し、不足分を肩甲帯挙上で補わせる要因になります。
🔵 OTポイント

これらの要因は独立して存在するのではなく、たとえば「腱板機能低下→肩関節可動域制限→代償的努力の増大→共同運動の誘発→肩甲帯挙上の固定化」というように、時間経過とともに連鎖・強化されていく点が脳卒中リハビリテーションにおける代償動作の臨床的な難しさです。

④なぜ肩をすくめる代償が起こるのか

運動学的な説明

関節運動の自由度(degrees of freedom)の観点から見ると、目的物へ手を到達させるという課題(タスク)は一つですが、それを達成する関節運動の組み合わせは無数に存在します(運動の冗長性、Bernstein 1967の運動問題)。健常者は肩関節・肘関節・体幹・肩甲帯の自由度を柔軟に使い分けて最適な軌道を選びますが、脳卒中患者では肩関節・肘関節での自由度が制限されるため、体幹や肩甲帯といった「残された自由度」に運動が集中し、結果として肩甲帯挙上という代償パターンが選択されやすくなります。これは「自由度の再配分(redistribution of degrees of freedom)」として説明されます(Cirstea, Levin, 2000; Archambault et al., 1999)。

解剖学的な説明

肩甲上腕関節は可動性を優先した構造であり、その安定性の大部分を腱板筋群と肩甲帯周囲筋の同時収縮に依存しています。腱板機能低下や肩甲帯周囲筋の機能的な不均衡があると、身体は解剖学的に「より大きな筋量を持つ」上部僧帽筋・肩甲挙筋を動員して上肢全体を持ち上げようとします。これは、力学的に出力を確保しやすい筋を優先的に使うという合目的的な反応とも解釈できます。

神経生理学的な説明

前述の通り、皮質脊髄路損傷後は皮質網様体脊髄路への依存が高まり、この経路は肩外転筋と肘・手指屈筋群を同時に興奮させる投射様式を持つと考えられています。加えて、肩甲帯挙上筋(上部僧帽筋・肩甲挙筋)は頸部由来の反射的な影響も受けやすく、努力性の運動時に賦活されやすい特性があります。したがって、肩をすくめる代償は単なる「悪い癖」ではなく、損傷を受けた中枢神経系が利用可能な運動経路を最大限動員した結果として理解する必要があります。

制御工学的な説明

運動制御をフィードバック制御とフィードフォワード制御の観点から見ると、脳卒中患者は感覚障害や運動出力の不確実性により、フィードフォワード的な予測制御が困難になっている場合が多くあります。その結果、動作中に生じる誤差を都度、大きな筋群(肩甲帯挙上筋)を使った粗大なフィードバック修正で補おうとする傾向が強まります。これは工学的に言えば、精密な制御ループが使えない状況で、より単純で出力の大きい制御ループに切り替えて目的を達成しようとする適応行動と捉えることができます。

⑤肩甲骨運動

肩甲骨は6方向の運動(上方回旋・下方回旋、後傾・前傾、内旋・外旋)に加え、挙上・下制、内転・外転という複合的な運動を行う骨です。リーチ動作における正常な肩甲骨運動と、脳卒中後に生じる変化を対比して整理します。

運動方向正常なリーチ動作での役割脳卒中後に見られる変化
上方回旋肩関節挙上に伴い前鋸筋・僧帽筋のフォースカップルで生じ、肩峰下スペースを確保する前鋸筋機能低下により上方回旋が不十分、あるいは代償的な挙上を伴う異常パターンになりやすい
後傾挙上に伴い肩峰を持ち上げ、腱板のインピンジメントを回避する後傾が不十分となり、インピンジメントによる痛みが生じやすい(Aertsら, 2016では高挙上域での後傾減少が報告されている)
外旋(external rotation)挙上に伴い肩峰下スペースを維持する低挙上域で軸回旋(axial rotation)の異常が報告されている
挙上最終域の挙上でわずかに生じる生理的な運動代償的に過剰な挙上が早期から出現し、肩甲上腕リズムが崩れる
下制・後退安静時・戻し相での基本姿勢を作る上部僧帽筋・肩甲挙筋の痙縮により下制が困難になることがある
🔵 OTポイント

Aertsら(2016)の3次元動作解析研究では、脳卒中患者群は低い挙上角度において体幹の軸回旋を有意に増加させ、高い挙上角度では肩甲骨後傾の減少と外旋の増加を示したと報告されています。これは、肩甲胸郭関節の運動異常が体幹の代償運動と連動して生じていることを示す重要な知見です。

⑥関与筋

ここでは起始停止ではなく、リーチ動作・巧緻動作における各筋の「役割」に焦点を当てて整理します。

リーチ・巧緻動作における主な役割
前鋸筋肩甲骨の上方回旋・外転・胸郭への固定を担う。フォースカップルの中心的存在で、機能低下は肩甲帯挙上代償の最大要因の一つ
下部僧帽筋前鋸筋とともに上方回旋を担い、肩甲骨を下方に安定させるカウンターバランス役
中部僧帽筋肩甲骨の内転・安定化に寄与し、挙上動作中の肩甲骨の胸郭上での位置決めを補助
上部僧帽筋生理的には肩甲骨挙上・上方回旋の補助筋だが、代償優位になると過活動し「肩がすくむ」動作の主動筋となる
肩甲挙筋肩甲骨挙上・下方回旋筋。上部僧帽筋と並び、代償的挙上パターンで過活動しやすい
菱形筋肩甲骨内転・下方回旋筋。下部僧帽筋・前鋸筋の機能不全時に相対的優位となることがある
三角筋肩関節挙上(屈曲・外転)の主動作筋。前部線維は前方リーチで特に重要
棘上筋挙上初期の起動と、腱板としての骨頭求心位保持を担う
棘下筋・小円筋肩関節外旋筋であり、挙上時の骨頭求心位保持とインピンジメント回避に関与
肩甲下筋肩関節内旋筋かつ腱板として骨頭の前方への偏位を防ぐ
大胸筋肩関節水平内転・内旋筋。屈曲共同運動下では過活動しやすい
広背筋肩関節伸展・内転・内旋筋。戻し相や過剰な努力時の代償筋として動員されることがある
前腕筋群手指の把持・巧緻動作を直接担う。近位の不安定性があると遠位の微細な制御が阻害されやすい

⑦EMG研究

肩甲帯挙上代償のメカニズムを裏付ける筋電図(EMG)研究をいくつか紹介します。

  • Cirstea & Levin(2000, Brain):脳卒中患者20名の前方リーチ課題を運動学的に分析し、肩関節・肘関節の協調運動が破綻し、可動域が有意に減少すること、これを代償するように体幹前傾が増加することを報告しました。
  • McCrea, Eng, Hodgson(2005, J Neurophysiol):慢性期脳卒中患者20名と健常者10名を対象に、前方リーチ課題中の前部三角筋の表面筋電図を計測し、麻痺側で前部三角筋の活動が最大随意収縮に近いレベルまで飽和し、それ以上の到達距離を得るために肩関節水平外転・体幹回旋などの矢状面外の代償運動が発生することを定量的に示しました。
  • Dewaldら(1995, Brain):等尺性条件下で肩関節外転・内転、肘関節屈曲・伸展のトルク発生課題を行い、麻痺側では肩関節外転努力時に肘関節屈筋群のトルクが不随意に共活動する「異常な関節間カップリング」をEMGと同時計測で定量化しました。
  • Ellisら(2017, Clin Neurophysiol):ロボットを用いて肩関節外転負荷を系統的に変化させながら到達運動時の肘関節屈筋群EMGを計測し、負荷量に応じて共同運動由来の筋活動が線形的に増大することを示しました。
  • Aertsら(2016, Gait & Posture):3次元動作解析と表面筋電図を同時計測し、脳卒中患者群では低挙上域における下部僧帽筋の活動開始の早期化と、前鋸筋の活動開始の遅延・活動終了の早期化という異常な筋動員タイミングを報告しました。
  • De Baetsら(2014):肩痛のある脳卒中患者と肩痛のない脳卒中患者を比較し、肩痛のない群では下部僧帽筋の早期活動と前鋸筋の活動終了の遅延が見られたとし、代償的な筋動員パターンが必ずしも痛みに直結するわけではなく、代償の仕方によって結果が異なる可能性を示唆しました。

上記の研究知見を、リーチ動作時の相対的な活動量として整理すると、以下のようなパターンで理解できます。数値化されたMVC(最大随意収縮)%の直接比較ではなく、複数のEMG研究(Cirstea & Levin, 2000; McCrea et al., 2005; Aerts et al., 2016 等)の報告傾向を作業療法士が臨床的に統合した概念的な整理である点にご留意ください。

健常者のリーチ動作肩甲帯挙上を伴う患者
前鋸筋★★★★★★★
下部僧帽筋★★★★★★★
三角筋前部★★★★★★★★
上部僧帽筋★★★★★★★
肩甲挙筋★★★★
🔵 OTポイント

これらの研究に共通するのは、肩甲帯挙上代償が「単一の筋の過活動」ではなく、複数筋間の活動タイミング・活動量の相対的なバランスの崩れとして生じているという点です。前鋸筋・下部僧帽筋の活動が低下する一方で上部僧帽筋・肩甲挙筋の活動が増加するという「シーソーのような関係」が代償パターンの核心であり、介入も、上部僧帽筋を「抑制する」だけでなく、前鋸筋・下部僧帽筋を「賦活する」という両輪のアプローチが必要になります。

🔵 臨床ではこう考える

EMG研究を総合すると、「上部僧帽筋が働きすぎている」のではなく、「前鋸筋・下部僧帽筋が十分働けないために上部僧帽筋が代償している」と考える方が臨床的には適切です。上部僧帽筋を抑制する介入だけに終始せず、前鋸筋・下部僧帽筋の賦活を優先することが、代償パターンの根本的な改善につながります。

⑧エビデンス

肩甲帯挙上代償の評価・介入に関連する主要なエビデンスを紹介します。エビデンスレベルや対象、限界は研究によって異なるため、臨床適用の際は個々の患者の状態に照らして判断してください。

研究・レビュー概要
Cirstea & Levin, 2000, Brain脳卒中患者のリーチ動作における体幹代償・関節協調破綻を定量化した基礎的研究
Michaelsen & Levin, 2004, Stroke体幹拘束下でのリーチ練習(trunk restraint)が、慢性期脳卒中患者の肘関節伸展可動域と到達精度を短期的に改善したとするコントロール研究
Archambault et al., 1999, Exp Brain Res体幹を含む自由度の動員順序を健常者・片麻痺者間で比較した研究
McCrea et al., 2005, J Neurophysiol前部三角筋の飽和的活動と代償的リーチ戦略の関連を報告
Dewald et al., 1995, Brain肩関節外転と肘関節屈曲の異常な等尺性トルクカップリングを報告した古典的研究
Ellis et al., 2017, Clin Neurophysiol共同運動由来の筋活動と痙縮由来の筋活動を分離し、中等度〜重度例では共同運動由来の寄与が大きいことを報告
Aerts et al., 2016, Gait & Posture脳卒中患者の肩甲骨3次元運動と筋活動タイミングの異常を同時計測した研究
De Baets et al., 2014肩痛の有無による筋動員パターンの違いを検討
Sirtori, Corbetta, Moja, Gatti, 2009, Cochrane Database Syst RevCIMT・修正CIMTが上肢機能に中〜大程度の効果量を示すと報告
Corbetta et al., 2015, Cochrane Database Syst RevCIMTの障害・運動機能への効果を再評価し、質の高いエビデンスの蓄積を示した
CIMTネットワークメタアナリシス(2023年、44研究・1779名)体幹拘束を併用したCIMT(1日4〜6時間拘束)が、FMA-UEおよびARATの改善において最も効果的なプロトコルの一つと報告
CIMTタイミング・用量に関するメタ回帰分析(2023年)慢性期患者では週6時間以上の訓練・1日6時間以上の拘束で、Motor Activity Logの改善がより明確になる可能性を示唆
ロボット支援課題指向型訓練のメタ解析(2024年、15研究・574名)ロボット支援課題指向型訓練がFMA-UEスコアを有意に改善したと報告(SMD=1.01)
腹部ブレーシングと肩甲骨安定化筋に関する研究体幹の安定化(腹部ブレーシング)により前鋸筋・下部僧帽筋の活動開始が早期化し、肩甲骨上方回旋が増加すると報告
片麻痺肩関節亜脱臼に関するPhysiopedia系統的まとめ肩関節亜脱臼の発生率は報告により17〜81%と幅があり、多くが急性期(発症後3週以内)に生じるとされる
片麻痺肩痛(HSP)の系統的レビュー(2020年)18研究のメタ分析で、HSPの発生率は10〜22%、有病率は22〜47%と報告され、加齢・女性・筋緊張亢進・感覚障害・左片麻痺・出血性脳卒中・半側空間無視などが予測因子として挙げられている
腱板断裂と筋力低下の関連研究(2013年)徒手筋力検査(MMT)3未満が腱板断裂の独立した危険因子であると報告
🟨 ガイドラインについて

脳卒中ガイドライン(日本脳卒中学会「脳卒中治療ガイドライン」等)においても、上肢機能訓練としての課題指向型練習・反復訓練・CIMTの実施が推奨されていますが、推奨グレードは版によって異なるため、実際の記載内容は最新版のガイドライン原文を必ず確認してください。

⑨評価方法

評価項目そのものはROM・MMT・FMAなど多岐にわたりますが、実際の臨床では次のような「近位から遠位へ」の観察順序で見ていくと、代償のどの段階に問題があるかを効率よく特定できます。

  1. 座位姿勢—円背・骨盤後傾など土台となる姿勢アライメントを確認する
  2. 肩甲骨位置—安静時の肩甲骨の高さ・左右差を触診・視診で確認する
  3. 肩甲骨運動—挙上動作中の上方回旋・後傾・肩甲上腕リズムを観察する
  4. 体幹代償—体幹前傾・側屈が同時に出現していないかを確認する
  5. 肩関節—肩甲骨を固定した状態での純粋な肩甲上腕関節可動域・筋力を評価する
  6. 手指—近位が安定した状態で、手指の巧緻性・Pre-shapingの質を評価する

関節可動域・筋力・筋緊張の評価

  • ROM(関節可動域測定):肩関節屈曲・外転の他動・自動可動域に加え、肩甲骨を用手的に固定した状態での「純粋な肩甲上腕関節可動域」を分離して評価することが、代償の程度を把握するうえで重要です。
  • MMT(徒手筋力検査):三角筋・棘上筋・前鋸筋・僧帽筋下部線維を個別に検査します。前鋸筋の検査(肩甲骨外転・上方回旋)は、壁を押す動作(wall push-up様肢位)での翼状肩甲の有無を併せて観察すると評価しやすくなります。
  • MAS(Modified Ashworth Scale)・Tardieu Scale:上部僧帽筋・肩甲挙筋・大胸筋の痙縮を評価します。TardieuはMASと異なり速度依存性の要素を捉えられるため、痙縮由来の制限か拘縮由来の制限かを鑑別するうえで有用とされています。

上肢機能の標準化評価

評価法特徴
FMA(Fugl-Meyer Assessment)Fugl-Meyerら(1975)が開発。共同運動パターンからの逸脱度を段階的に評価でき、屈曲共同運動・伸展共同運動を分離して評価する項目があるため、肩甲帯挙上を伴う代償パターンの評価に適する
ARAT(Action Research Arm Test)Lyle(1981)が開発。把持・握り・つまみ・粗大運動の4サブテストで構成され、動作の質より「できるか・できないか」に近い評価となる点に留意が必要
WMFT(Wolf Motor Function Test)Wolfら(2001)が開発。CIMTの効果判定に多用され、動作時間と機能的能力評価(FAS)の両面を評価できる
MAL(Motor Activity Log)Uswatteら(2005)が開発した半構造化面接式の評価で、実生活での麻痺側上肢の「使用頻度(AOU)」と「動作の質(QOM)」を患者自身が評価する

肩甲骨運動・姿勢の観察評価

  • 肩甲骨運動の触診:座位で患者の後方から肩甲骨下角・内側縁に指を当て、肩関節挙上時の上方回旋・後傾・翼状肩甲の有無を触診で確認します。
  • 肩甲上腕リズムの観察:挙上初期(0〜30°)から肩甲骨が先行して動き出していないか、代償的な挙上が早期から出現していないかを観察します。
  • 姿勢評価:安静座位での肩甲帯の高さの左右差、頭部前方位・円背姿勢の有無を確認します。円背姿勢は肩甲骨の前傾・下方回旋を助長し、代償的挙上のリスクを高めるとされています。
  • 動画撮影による動作分析:リーチ動作を側方・前方の2方向から動画撮影し、代償パターンの出現タイミング(動作のどの局面で挙上が始まるか)をスロー再生で確認する方法は、臨床でも実施しやすく、患者へのフィードバックにも活用できます。

⑩リハビリ

肩甲帯挙上代償に対する介入は、単一の手技ではなく、近位安定性の再構築・代償筋の抑制・主動作筋の賦活・課題指向型の反復練習という複数の要素を組み合わせて設計する必要があります。介入の優先順位は、③でみた原因の連鎖と同じく「近位から遠位へ」、すなわち①姿勢 → ②体幹 → ③肩甲骨 → ④肩関節 → ⑤リーチ → ⑥巧緻動作の順で組み立てると、どこから着手すべきかが明確になります。

①姿勢へのアプローチ

すべての土台となるのが座位姿勢です。円背姿勢や骨盤後傾位のまま上肢訓練を始めると、肩甲骨が前傾・下方回旋した状態から動作が始まってしまい、以降のすべての介入の効果が薄れます。座面の高さ・奥行き、フットサポートの位置を調整し、骨盤が中間位に近づく座位環境をまず整えます。

🟢 適応

すべての患者に対して、他の介入を始める前の前提として確認します。

🟨 注意点

円背や骨盤後傾が構造的な拘縮による場合は、姿勢修正のみでは限界があり、無理に矯正しようとすると不快感や疲労を招くことがあります。

②体幹へのアプローチ

姿勢が整った上で、体幹の抗重力活動を高めます。座位での体幹アライメント維持、腹筋群の賦活(腹部ブレーシング様の課題)を行うことで、肩甲帯の土台となる近位安定性を高めます。

🟢 適応

体幹機能低下が明らかな患者。

🟨 注意点

著明な認知機能低下がある場合は指示理解が難しく効果が限定される可能性があるため、課題の単純化が必要です。

③肩甲骨へのアプローチ(肩甲骨リハビリ)

体幹が安定してきたら、肩甲骨そのものの可動性と筋機能に介入します。

肩甲骨モビライゼーション:拘縮による可動域制限がある場合、他動的な肩甲骨モビライゼーション(上方回旋・後傾方向への誘導)を行い、関節可動域を確保したうえで運動学習の土台を作ります。

🟨 禁忌・注意点

骨折後早期など組織治癒が不十分な時期は禁忌です。強い痛みを伴う無理な可動域拡大は避け、疼痛の範囲内で実施してください。

前鋸筋促通・下部僧帽筋促通(前鋸筋リハビリの具体例):壁を利用したプッシュ動作、四つ這い〜膝立ち位での上肢支持課題などを用い、前鋸筋・下部僧帽筋を選択的に賦活します。臨床で実際に使いやすい手順の一例は、以下のような流れです。

  1. 壁を押す—立位または座位で、患側の手掌を壁につけ、軽く押させる
  2. 肩甲骨外転を誘導—セラピストが肩甲骨下角に触れ、外転(胸郭に沿って前方へ滑る動き)を軽く誘導する
  3. 肩をすくませない—「肩は下げたまま、肩甲骨だけを前に押し出す」意識づけを声かけで行う
  4. 前鋸筋収縮を触診—第5〜9肋骨付近、広背筋前縁にあたる部分で前鋸筋の収縮を触診し、患者にもフィードバックする
  5. そのまま前方リーチへ—壁を押す感覚を保ったまま、手を壁から離してテーブル上の対象物への前方リーチに移行する

FES・EMGバイオフィードバック:前鋸筋・下部僧帽筋へのFESや、表面筋電図を用いたバイオフィードバックは、代償筋(上部僧帽筋)の活動を可視化しつつ主動作筋の随意的な賦活を促す手段として臨床応用されています。

🟢 適応

筋力低下が主因である患者、および筋への電気刺激・波形フィードバックを理解し協力できる患者。

🟨 禁忌・注意点

肩関節不安定性(亜脱臼)がある場合は支持課題で疼痛や損傷を招かないよう荷重量を調整してください。心臓ペースメーカー装着例などFESの禁忌事項にも注意が必要です。

④肩関節へのアプローチ

肩甲骨が安定して初めて、肩甲上腕関節(三角筋・腱板)への直接的な介入が効果を発揮します。三角筋前部・棘上筋の筋力増強は、肩甲骨が固定された状態(closed-chain寄りの肢位)で行うことで、代償的な肩甲帯挙上を誘発せずに主動作筋を賦活しやすくなります。あわせて、健側の鏡像を用いて麻痺側が動いているように視覚的にフィードバックするミラーセラピーも、随意運動の出力が乏しい時期の肩関節の運動イメージ再学習として活用されます。

🟢 適応

重度の麻痺で随意運動が乏しい患者にもミラーセラピーは導入しやすい介入です。

🟨 注意点

半側空間無視がある患者ではミラーセラピーの鏡像認識自体が困難になる場合があるため、適応を慎重に判断する必要があります。

⑤リーチへのアプローチ

近位の安定性が一定程度確保された段階で、リーチ動作そのものの練習に移行します。テーブル上でのスライダー(前腕をタオルなどに乗せて滑らせる)を用いた重力軽減下でのリーチ練習は、筋出力が乏しい時期に代償を誘発せず主動作筋の随意的な動員を学習させる手段として有用です。実際のADL場面に近い課題(コップを取る、ドアノブを回すなど)を反復する課題指向型のリーチ練習は、単関節の筋力増強訓練よりも機能的な運動パターンの獲得に有利とされています。

🟢 適応

中等度〜重度の筋力低下がある患者にはスライダー、代償が減ってきた患者には課題指向型のリーチ練習が適します。

🟨 注意点

痙縮が強く可動域制限がある場合はスライダーでの無理な牽引を避けてください。代償動作が定着している場合は、課題難易度を下げて代償なしで遂行できる範囲から始める必要があります。

⑥巧緻動作へのアプローチ

リーチが代償なく行えるようになって初めて、巧緻動作訓練(ペグボード、つまみ動作など)の効果が最大化されます。健側上肢を拘束し、麻痺側上肢の集中的・反復的な使用を促すCI療法もこの段階で有効性が高まります。コクランレビュー(Sirtori et al., 2009;Corbetta et al., 2015)では上肢機能・障害への中〜大程度の改善効果が報告されており、2023年のネットワークメタアナリシスでは体幹拘束を併用したプロトコルがFMA-UE・ARATの改善において特に効果的だったと報告されています。反復性は運動学習の基本原則ですが、代償パターンを含んだまま反復すると、その代償パターン自体が強化されてしまう(誤学習)リスクがあります。反復練習を始める前に、代償なしで遂行可能な難易度設定(可動域・重量・速度の調整)を行うことが臨床上極めて重要です。また、タッピングや抵抗運動を伴う固有受容感覚刺激などの感覚入力は、位置覚障害を代償する手段として、感覚障害が主体の患者に用いられます。

🟢 適応

CI療法は一定以上の随意運動(手関節・手指の伸展が一部可能)が残存している患者に適応があります。巧緻動作訓練自体は幅広い重症度の患者に用いられますが、難易度調整が前提です。

🟨 禁忌・注意点

CI療法は重度弛緩性麻痺や著明な認知機能低下・注意障害がある患者には適応が限定されます。感覚過敏がある場合は感覚入力の強度・部位に配慮が必要です。

⑪重症度別のアプローチ

ここまでの評価・介入を、実際の患者像に当てはめやすいように重症度別に整理します。あくまで一般的な目安であり、実際の適応は個々の患者の随意性・痙縮・感覚・認知機能を総合して判断してください。

🟠 重度(近位の随意性がほぼない・弛緩性麻痺〜強い共同運動)

  • FES(前鋸筋・下部僧帽筋への電気刺激)
  • ミラーセラピー
  • 他動肩甲骨誘導(モビライゼーション)
  • 重力除去(重力軽減下でのリーチ練習)

🔵 中等度(近位の随意性が一部残存・代償を伴いながら到達は可能)

  • スライダー(重力軽減下でのリーチ練習)
  • 壁押し(前鋸筋促通)
  • Reach(代償を最小限にしたリーチ練習)
  • 前鋸筋促通(壁押し課題からの一連の手順)

🟢 軽度(近位安定性がほぼ確保され、代償なしでの到達が可能)

  • ペグ(ペグボードなどの巧緻動作訓練)
  • 箸(実用的な食事動作課題)
  • ボタン(更衣動作を想定した巧緻課題)
  • CI療法
🟨 段階を飛ばさない

重度の患者に軽度向けの巧緻動作訓練だけを行うと、近位の不安定性を残したまま代償学習が進んでしまうリスクがあります。逆に、軽度の患者にいつまでも重度向けの他動的介入だけを続けると、実用的な機能獲得の機会を逃すことにもなりかねません。重症度の見極めと、それに応じた介入の切り替えが重要です。

⑫臨床でよくある失敗

❌ よくある失敗
  • 「肩を下げてください」と言い続ける:言語指示だけでは代償パターンの根本原因(筋力低下・肩甲骨運動異常・共同運動)にアプローチできず、患者に努力の押し付けになりがちです。
  • ペグボードなど巧緻動作課題だけを反復する:近位の安定性が確保されないまま遠位課題だけを反復すると、肩甲帯挙上を伴った「代償込みの成功パターン」が強化されてしまいます。
  • 近位(肩甲帯・体幹)を見ずに手先の動きだけを評価する:巧緻動作の失敗を手指の問題とだけ捉え、原因が近位の不安定性にある可能性を見落とすケースは少なくありません。
  • 体幹を見ない:体幹前傾・側屈による代償は、肩甲帯挙上と同時に、あるいは代替的に出現することがあり、どちらか一方だけを観察していると全体像を見誤ります。
  • 姿勢を評価せずに座位で上肢訓練を開始する:円背姿勢や骨盤後傾位のまま上肢訓練を行うと、肩甲骨の前傾・下方回旋位が固定化された状態で代償学習が進んでしまいます。

⑬まとめ

原因の一覧

カテゴリ主な要因
近位・体幹体幹機能低下、姿勢制御障害、近位安定性不足、重力負荷、筋持久力低下
肩甲骨運動上方回旋不足、後傾不足、肩甲上腕リズム破綻
筋機能前鋸筋・下部僧帽筋機能低下、三角筋・棘上筋等の筋力低下、上部僧帽筋・肩甲挙筋の過活動
神経生理学的要因異常共同運動、痙縮、脳卒中特有の運動制御障害(皮質網様体脊髄路依存)
感覚・心理感覚障害、位置覚障害、過度な努力・Overflow、痛み、恐怖回避
構造的要因肩関節亜脱臼、肩関節拘縮

評価の一覧

領域評価法
可動域・筋力・筋緊張ROM、MMT、MAS、Tardieu Scale
上肢機能FMA、ARAT、WMFT、MAL
肩甲骨運動・姿勢触診、肩甲上腕リズムの観察、姿勢評価、動画撮影による動作分析

介入の一覧

目的介入
可動域確保肩甲骨モビライゼーション
主動作筋の賦活前鋸筋促通、下部僧帽筋促通、FES、EMGバイオフィードバック
近位安定性の再構築肩甲帯安定化訓練、体幹訓練、感覚入力
代償のない学習重力軽減訓練・スライダー、課題指向型練習、リーチ練習・巧緻動作訓練
集中的な麻痺側使用CI療法、ミラーセラピー、反復課題練習

🎯 臨床のポイント整理

  • 🔍 評価 → まず近位(肩甲帯・体幹)と遠位(手指)を分けて観察する
  • 🧩 原因の特定 → 筋力低下型・共同運動型・体幹代償型など、どのパターンが優位かを見極める
  • 🛠 介入 → 代償なしで遂行できる難易度から、課題指向型練習へ段階的に移行する

肩甲帯挙上という代償動作は、脳卒中患者の運動制御システムが利用可能な資源を総動員して目的を達成しようとした結果として現れる、合目的的な適応です。この視点に立つことで、「肩を下げる指導」から一歩進んだ、原因に応じた評価と介入の設計が可能になります。

🔵 OTポイント:「肩が上がる=悪い」とは限らない

ここまで代償のメカニズムと介入を詳しく見てきましたが、最後に強調しておきたいのは、リーチ動作中に肩が上がること自体が、常に「悪い」わけではないという点です。重度片麻痺では、肩甲帯挙上はADLを成立させるための合理的な代償となることがあります。そのため、すべての患者で肩甲帯挙上を完全に排除することが目標ではなく、機能回復を優先する時期と代償を活用する時期を区別して介入することが重要です。

よくある質問

Q. 肩甲帯挙上代償は完全になくすべきですか?
A. 重症度や回復段階によっては、代償を完全に排除することが現実的でない場合もあります。近位の随意性が乏しい重度例では、代償を活用してADL自立度を高めるという選択肢も臨床上考慮されます。一方で、機能回復を目指す時期には、代償を最小限にした運動学習を優先することが望ましいとされています。
Q. 肩甲帯挙上とインピンジメント・肩関節痛の関係は?
A. 肩甲骨の上方回旋・後傾が不十分なまま挙上動作を反復すると、肩峰下スペースが狭小化し、インピンジメントによる痛みのリスクが高まる可能性があります。ただし、De Baetsら(2014)の報告のように、代償的な筋動員パターンが必ずしも痛みに直結するわけではなく、個人差が大きい点にも留意が必要です。
Q. 家庭でできるセルフエクササイズはありますか?
A. 壁を使ったプッシュ動作や、テーブル上でタオルを滑らせるスライダー練習など、負荷を調整しやすい運動は自主練習として導入しやすい方法です。ただし、代償動作を伴ったまま自主練習を反復すると誤学習のリスクがあるため、初回の動作確認は必ず専門職の指導のもとで行うことをお勧めします。
Q. 「肩を下げて」と声をかけてもいいですか?
A. 一時的な修正には有効ですが、それだけでは根本原因は改善しません。前鋸筋・下部僧帽筋の機能低下や近位安定性不足など、代償が生じている根本要因への介入と組み合わせることが重要です。
Q. 巧緻動作訓練はいつから始めるべきですか?
A. 近位(肩甲帯・体幹)の安定性がある程度確保され、代償なしで対象物への到達が可能になった段階から巧緻動作訓練を組み込むことで、より効率的な機能獲得が期待できます。近位の不安定性を残したまま巧緻動作課題だけを反復することは、代償学習を助長するリスクがある点に注意してください。
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